大きなコンサートホールでオーケストラとも共演可能な「楽器の王様」とも言われるピアノ。しかし、ピアノが誕生した当初は、今と同じ形だったわけではないようです。
ピアノは1709年頃、フィレンツェのクリストフォリにより完成されました。以来300年に渡り、さらに豊かな音をめざして、さまざまな設計が考案され、改良を重ねて、現在と同じ造りとなりました。
この記事では、そのピアノの歴史について紹介します。

ピアノが誕生するまでの鍵盤楽器
ピアノが誕生する前、既に普及していた鍵盤楽器には次のようなものがあります。
オルガン

15世紀頃、ヨーロッパで教会の楽器として普及していました。独奏楽器としても合唱の伴奏としても使われ、ルネサンスから後期ロマン派の時代にかけて活躍しました。鳴らしたいパイプに下から風を送り、圧力をかけた空気がパイプを通って音を鳴らします。パイプは大きなリコーダーのような作りになっており、長さによって音高が決まります。つまり、鍵盤楽器ではありますが、音の鳴るしくみは全くピアノとは異なるものです。
クラヴィコード

16世紀にはヨーロッパ全土に、17世紀には特にドイツで家庭用として普及しました。弦をタンジェント(棒のようなもの)でたたいて鳴らします。音量はある程度調節できるものの、全体として音量が小さく、小さな部屋での演奏にしか適していませんでした。
J.S.バッハやその息子たちも好んで演奏していました。
チェンバロ

弦をはじいて音を出す楽器で、16世紀末以降に普及しました。音域も広く、オルガンより手軽なため、室内や演奏会などに適していました。貴族のサロンでも好まれ、器楽音楽の普及と共に広く使われるようになりました。ただ、音量の調節は出来ませんでした。
なおグランドピアノの形の元となった楽器であり、呼び方は国によって異なります。「チェンバロ(ドイツ語・イタリア語)」「クラヴサン(フランス語)」「ハープシコード(英語)」などと、呼ばれます。
ピアノの誕生と発達
1709年頃、奏者の技術で音量を調節できるピアノが製作されます。以来300年に渡り、さらに豊かな音をめざして、さまざまな設計が考案され、改良を重ねてきました。
ピアノの誕生と正式名称
18世紀初め、すでにチェンバロが普及され、多くの場所で演奏されていましたが、音量の調節ができないという難点がありました。
そんな中、1709年頃にフィレンツェのクリストフォリ(1655–1732)により、ピアノが完成されました。グラヴィコードよりも大きな音が出て、弾き方によって音量を変えられるものです。これが最初のピアノで「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(強音も弱音も出せるチェンバロ)」と名付けられました。
小さなハンマーで弦を叩いて音を鳴らします。また奏者が鍵盤を押す力を加減することによって音量をコントロールすることが可能です。
この仕組みは、①鍵盤を押すと連動されたハンマーが動き、②弦を下から叩き上げる、というメカニズムとなっています。これは現在のピアノのメカニズム(下の図)とほぼ同じです。


さらにハンマーが弦をたたいたらすぐに離れる仕組み(エスケープメント)というメカニズムとなっています。弦にハンマーが触れたままだと振動して音が鳴らないためです。
また、ハンマーの速度をより速くするレバーも考案し、各弦にダンパーをつけ、奏者が鍵盤から指を離すとダンパーが弦に触れて振動が止まり、音が止むようになりました。
この「鍵盤+ハンマー+エスケープメント+ダンパー」の組みあわせがピアノの「アクション」とよばれます。
さらにピアノには「響板」があり、弦が振動すると響板が共鳴し、弦そのものの響きよりさらに大きな音量に増幅されます。現代のピアノで、「響板」の場所を確認してみましょう。

ピアノが完成されて以降、さまざまな改良が重ねられてきましたが、この「弦を叩くアクション」が基本のメカニズムであることは、現在のピアノと変わりありません。
世界に広めたジルバーマン
クリストフォリのピアノはまずドイツで注目されました。その後、ジルバーマン(1683–1753)は1725年頃、クリストフォリのピアノとよく似たものを製作しました。彼はこの楽器をJ.S.バッハに提供し意見を求めました。しかしバッハは、このピアノをあまり好みませんでした。タッチが重く、高音部が弱いことを指摘したのです。
それから約20年後、バッハがジルバーマンの別のピアノを試奏した際は、そのピアノに満足したそうです。しかしバッハが改良されたピアノのために楽曲を作ることはありませんでした。
したがって、バッハが生涯に渡って鍵盤楽器のために作曲した作品はどれも、オルガンかチェンバロのための曲ということになります。
ジルバーマンはクリストフォリのアクションを復元し、多くの音楽家に紹介して、ピアノを世に広げました。さらに独自の機構を装備しました。彼の功績は現在のピアノの普及に、大きく影響しています。
その後、ドイツのピアノ製作は、新しいアイデアのアクションの考案から発展し、ウィーン式アクションが登場します。
ピアノの発達
ジルバーマン後、クリストフォリ式のアクションはタッチが重いことから、当時普及していたクラヴィコードの軽いタッチに慣れた人々には不評でした。クラヴィコードのようなタッチを求めて、ウィーン式アクションが考案されました。
ウィーン式アクション
ウィーン式はアクションが軽く、そのためより俊敏な演奏が可能で、音色はやや細くなるが華やかで軽やかな澄んだ音がしました。このウィーン式ピアノを開発したのがヨハン・アンドレアス・シュタイン(1728-1792)で、さらにアントン・ワルター(1752-1826)によって改良が加えられました。
このアクションのピアノは、当初はピアノ本体もクラヴィコードに似て箱型に製作され、スクエアピアノまたはテーブルピアノと呼ばれました。
なお、ウィーン式ピアノはハイドンとモーツァルトのお気に入りでした。
イギリス式アクション
19世紀中頃になると、音楽の場がサロンからコンサートホールに移ることになり、豊かな音量が求められるようになりました。そのため、ウィーン式アクションは、大きく・力強い音には不足している、として批判されるようになりました。
ジルバーマンの弟子、ツンペ(1726〜1790)はイギリスへ向かい、クリストフォリのアクションを単純化したような構造のイギリス式シングル・アクションと呼ばれるアクションを組みこみ、成功しました。そこから欠点を補うため、さらに改良を加え、イギリス式ダブル・アクションとして普及しました。これにより、イギリスのスクエアピアノの人気はさらに高まりました。
一方、グランドピアノのイギリス式アクションはバッカーズ(?〜1778年)により、開発されました。その後、このアクションを、イギリス式ピアノ製造会社であるブロードウッド社が採用し、さらに改良を加えました。
イギリス式アクションのピアノは、音色が豊かで音に深みがあることや、品質の良さで高く評価されます。一方で、アクションがやや重く反応が遅いので速い打鍵が難しいという点もあります。華やかな音を好む人たちには愛されましたが、俊敏で軽やかな演奏には不向きな造りだったようです。
ベートーベンはウィーン式のピアノが好きでしたが、フランス製のピアノも所有していたといわれます。フランス製はどちらかというとイギリス式に近い造りで、ベートーベンが自作品を演奏するにはウィーン式とイギリス式、両方の長所が必要だったようです。
19世紀のピアノ
クリストフォリが製作したピアノから更にアクションが改良されて、現代のピアノに近づいていく流れを紹介します。
現代アクションの確立
19世紀初めから、長年の歳月をかけて、エラール(1752〜1831)が新しいアクションを考案し、これまで以上に速い打鍵が可能になりました。それにより、世界のピアノのテクニックも飛躍的に拡大します。徐々に他のピアノメーカーもこの仕組みに移行するようになりました。この機能は現在の一般的なグランドピアノのアクションとして採用されています。
フレームの改良
さらにピアノメーカーに求められたのは音量でした。
1825年、アメリカのバブコック(1785〜1842)によって継ぎ目のない一体型の鋼鉄製フレームの特許が取得されました。バブコックのフレームはスクエアピアノ用のもので、1843年には一緒に働いていたチッカリング(1797〜1853)がグランドピアノ用の鋳鉄製フレームを製造するようになりました。
現代のピアノで「フレーム」部分を見てみましょう。

金属製フレームには音量と頑丈さ以外に、温度や湿度の変化による影響を受けにくいため、調律が安定しやすいという利点があります。そのため当時、金属製フレームのグランドピアノはピアニストに人気のものとなりました。
フランツ・リスト(1811〜1886)はチッカリング社のピアノを賞賛し、世界中で楽器が評判になりました。その後、グランドピアノは金属製フレームが標準規格となり、19世紀に製造されたピアノは現在のものとほとんど変わらない造りとなりました。
ヘンリー・スタインウェイ(1797〜1871)が率いる会社も、金属製フレームのピアノを製造するようになりました。ニューヨークで創業し、世界一の高級グランドピアノメーカーとして知られています。
アップライトピアノの普及
職業音楽家はグランドピアノを選ぶ一方、アマチュアの演奏家たちにはスクエアピアノが家庭で愛用されていました。
そして1830年頃、垂直型のアップライトピアノが登場します。場所を取らず、狭い部屋にも置けることで人気となり、19世紀後半には一般家庭にも広く普及しました。
19世紀半ば以降にほぼ完成
19世紀半ばには、ピアノのメカニズムは完成し、現在のものとほぼ同じになりました。大ホールに対応できる音量や、オーケストラと共演できる音量になるまでに改良されました。
そして19世紀末、音域は現在と同じ88鍵になりました。このように300年以上の歴史を経て、音の質、タッチ、音域、音量、に関して現代のピアノに近いピアノが完成しました。
まとめ:ピアノの歴史をたどってみよう

ここまでピアノの歴史について紹介しました。
ピアノは1709年、フィレンツェのクリストフォリによって完成されました。当時、既に普及していた鍵盤楽器「クラヴィコード」より大きな音が出て、「チェンバロ」にはない「音量調節可能」の楽器でした。
基本のメカニズム「弦を叩くアクション」がピアノの大切な機能であることは、クリストフォリが製作した当初と同じです。さらに300年に渡り、多くのピアノ製作者たちによって改良が重ねられ、19世紀半ばには現代のピアノとほぼ同じ形に完成されました。それにより多くのピアニストが求める音質、タッチ、音域、音量の実現がなされたのです。
そして今では、オーケストラと共演しても負けない、立派な響きで聴衆を魅了する楽器となりました。習い事としてもとても人気です。
この記事がピアノ学習をする上で、楽器について学ぶきっかけになれたら幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。